マーブルロードおおまちとは
マーブルロードおおまちの歴史
マーブルロードおおまちは、伊達政宗公開府以来の御譜代町(ごふだいまち)として、400余年にわたり商人の町「大町」として栄え、歴史と伝統を持ち合わせた商店街です。大町は御譜代町であるとともに町方二十四町の筆頭で、仙台城に一番近いメインストリートに位置することから、お城お見通しの町とされました。また、藩の重要政策のひとつとして他の商人町とは厳密に区別され、特定の商品取引きについて「専売権」と「御日市」の特権が与えられていました。
昭和45年より、仙台市の街区方式による町名地番整理に基づいて、旧名の大町五丁目から一番町三丁目となりました。現在、マーブルロードおおまちの住所に「大町」はありませんが、遠い昔を遡ることで、そこにあきんどの町として栄えてきた名前の由来を知ることができます。(創立20周年記念誌あきんどの町より)
ロマンティックなマーブルロード
マーブルロードおおまちのアーケードは、昭和62年に大理石舗道が完成し、2代目となる現在のアーケードが平成8年4月に竣工しました。「もっと歩きたい街、もっと過ごしたい街」として、伝統の街は装い新たに生まれ変わりました。
ロマンティックという言葉は、ローマティックが語源とされ、ドイツの空から南方を望みアルプスの彼方に雲を巻き、光さんさんと降り注ぐローマに思いをはせて創り出されたと言われています。古くドイツ人達がローマに思いを込めた様に、支倉常長遣欧使節もローマの道でした。マーブルロードおおまちのアーケードは、ドイツのシュトゥットガルトの商店街を参考にイメージしました。マーブルロードおおまちの名前の由来は、大理石(マーブル)舗道からきています。
ロマンティックなマーブルロードはまさに人と街のふれあいのドラマを展開するかのようです。
光と音のオブジェでおもてなし
マーブルロードおおまちの東側のオブジェは、「杜の光と音のプリズム」をテーマとし、ステンドグラスとオルガンを設置しています。
このアーケード空中ステージでは、オルガン奏者による生演奏を不定期で行っています。オルガンの音響と天空のオーロラをイメージした照明による演出で、文化の発祥地として、歩行者の皆様をおもてなします。
2018年の改修工事では、空中ステージのステンドグラス照明も色が変化するようになりました。また、東二番丁通側のファサードと西側(晩翠通り方面)ファサードが新しくなりました。日没30分前から23時まで流れるLEDが見ることができます。
仙台七夕まつりに大きな貢献
七夕まつりは、藩政時代から全国でも盛大に行われていましたが、明治6年(1873年)に朝廷での七夕儀式が廃止され、日露戦争後の明治30年ごろには衰微していきました。昭和2年、下火になった七夕行事に大きく貢献したのは大町でした。当時、「不景気退散」の合言葉に仙台商人の意気を見せようと、町内一斉に七夕を飾り付けて多くの人々から喜ばれました。翌年の昭和3年には、当時の大町五丁目共同会会長の提唱を取り上げた仙台協賛会と商工会議所が共同主催で参加町会を募り、仙台駅前から名掛丁、新伝馬町、大町通り、国分町、東一番丁はもとより虎屋横丁、立町通りなど11町会が参加し、今のような七夕まつりがはじまったと言われています。(創立20周年記念誌あきんどの町より)
藤崎えびす神社
えびす神社は、「商売繁盛、除災招福」の守護神として商家の神奉があつく、えびす様の総本社である兵庫・西宮神社には西宮大神、天照大神、須佐男大神が祀られています。藤崎百貨店は、文政2年(1819年)呉服商として創業し、創業時の屋号「得可主屋(えびす屋)」と称し、当時からに商いの神様えびす様をお店の氏神様として崇めていました。昭和7年に新店舗建設を機に、藤崎の屋上に奉斎し、町内の氏神ともなっています。